気候系のhot spot:熱帯と寒帯が近接するモンスーンアジアの大気海洋結合変動 - 文部科学省 科学研究費補助金 新学術領域研究 平成22年度~26年度

レポート

一般向け科学読み物を書く難しさについて

  • 茂木 耕作 (独立行政法人海洋研究開発機構 研究員)

この文章は、 「気象観測研究者のヒト・モノ観測」 より転載しました。

このブログでも何度かご紹介している一般向け科学読み物「梅雨前線の正体(東京堂出版)」について、今日は執筆過程の一つとして「一般向けに分かり易く書く難しさ」についてお話します。

実は、本の執筆を始めた当初、私は、梅雨前線の研究についてどのような整理の仕方や解説の仕方をすれば「一般向けに分かり易い」のか、全く見通しを持てずに途方に暮れてしまっていました。私が生まれる前から何十年も行われてきた膨大な研究の知見を前に、力が入りすぎてしまっていたのです。

一般的に言われていること、ちょっと踏み込んだ話、最先端の研究の現状、どれについてもそれぞれ一冊になるほど多くの知見があり、課題も山のように残されています。しかし、詳しく書き過ぎれば途中で疲れてしまう人の顔が浮かび、あまり表面的な記述だけになっても物足りなさを感じる人の顔が浮かびました。「一般向けに易しく解説」と思って色々と書いてみるのですが、自分の中での「一般」が漠然とし過ぎていて、どの部分の解説にも全く自信が持てなかったのです。

そんな情けない気分になりかけていたとき、答えをくれたのは、最近知り合った何人かの大学生たちでした。

「茂木さんの本なら読んでみたい」

何気なく、あるいはお世辞で言ってくれたのでしょうが、僕には涙が出るほど嬉しく、力の湧く言葉でした。そして、伝えるべき相手、つまり、

本の中で一番「おもてなし」をすべき相手の顔

がはっきりと思い浮かぶようになり、ようやく止まっていた筆が進み始めました。

そうして筆が進み始めると、僕はできるだけ執筆の進展を周囲に伝え、原稿をできるだけ多くの方々に点検してもらうようにしました。すると、想像していたよりも遙かに多くの反響と意見が集まりました。紙に赤ペン、メール、Googleドキュメント、Facebook、Twitterなど、なんらかの形で反応を示して下さった方は100人以上にのぼり、ある意味でそうした方々との共著とも言えるものが書けたように思います。

その反応が執筆の助けになったのも、全ては、

相手の顔が見えている

からです。顔が見えている反応だから、コメントに込められたニュアンスだけでなく、その人だったらこういう話も喜ぶんじゃないか、という新しいアイデアもどんどん湧いてきて、ますます筆が進むようになりました。

そんな様々な形でのやりとりを重ねながら書き進めた結果、

「居酒屋で美味しい料理をつつきながら、大学生たちと梅雨に関わる色々な話をしている」

といったレベルでの言葉があちこちに並ぶ、我ながらとても躍動感のある仕上がりになりました。居酒屋で他人が話しているのを聞いて万人が面白いとはもちろん思いませんが、少なくとも楽しそうに話しているなあ、とは思ってもらえるんじゃないでしょうか。

結局、こうして無事に書き上げてみて分かったのは、

顔の見えない「一般」に向けて書く、ということは「誰のためにもならない」

ということです。年齢も性別も職業も具体的にイメージできない「一般」に向けて書いてみても、結果的に「誰にも響かない」文章にになってしまい、自分で読んでいても躍動感の欠片もなくて、実につまらないのです。自分ですら楽しくない後ろ向きの気持ちで書いた文章など、誰も喜ばないし、自分を含めて誰も得をしないのが分かっているから、そんな非生産的なことに筆が進むはずもなかったわけです。

これと全く同じことをきちんと理詰めでまとめて精神科医の方が説明された本も出ています(僕が苦しみ終わった後に出版されたので、僕は遠回りしてしまいました)。

僕の周辺では、「一般」に向けて書いたり、講演で話したりしようとして「伝わらない・手応えがない・だから楽しくない」といった、同様の悩みを抱えているように見受けられる人がたくさんいます。

このブログは、そうした何人もの人達の顔を具体的に思い浮かべながら書かせて頂きました。

同じ悩みを持ったことのある者として、この文章が何かの一助になればいいな、と思います。

そしてその人達なりの別な解決策がもし見つかったときには、それも一緒に共有できたら嬉しく思います。

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