気候系のhot spot:熱帯と寒帯が近接するモンスーンアジアの大気海洋結合変動 - 文部科学省 科学研究費補助金 新学術領域研究 平成22年度~26年度

学術的背景

はじめに

「水の惑星」地球─そこで生命が育まれ、文明が築かれたのも、海洋と大気を巡る水があるからである。加えて、海洋と大気は、熱帯で太陽から過剰に受取った熱を高緯度へ運び、宇宙空間に戻すという気候学的に重要な役割も担っている。熱帯から主に海流により輸送されてきた熱は、中緯度で大気に受け渡される。大気への熱放出は、黒潮やメキシコ湾流など、地球自転の効果で太洋の西に生じる強大な暖流沿いの狭い領域で集中して起こる。暖流からの熱放出やその長期変動が地球気候の形成と変動に重要という示唆は、低解像度の大気モデル実験から得られてはいたが(Latif・Barnett 1994; Hoskins・Valdes 1989; Kushnir et al. 2002)、その具体的プロセス解明への研究が本格化するのは、地球シミュレータなど超高速計算機の開発や、高解像度衛星観測データの本格利用を待たなくてはならなかった。こうして近年の技術革新で新たな扉が開かれた中緯度の海流と大気との相互作用研究において、我々は世界をリードしてきた。

学術的背景

亜熱帯・中高緯度で海面を吹く風に海流が及ぼす影響を初めて捉えたのは、このプロジェクトのメンバーの一人である野中の黒潮に関する研究(Nonaka・Xie 2003)である。そしてその翌年にはScienceにメキシコ湾流に関する研究が掲載され (Chelton et al. 2004)、その後も暖流が海面風の分布に及ぼす影響に関して、以後続々と報告されている。

暖流の影響が海面付近に留まらず、気象現象の生ずる対流圈全層にも及ぶことを、このプロジェクトのメンバーである見延、吉田、小守が発見した(Minobe et al. 2008, 図1)。この研究では、衛星データの解析で捉えた現象を地球シミュレータ上の高解像度大気数値モデルで再現することで、メキシコ湾流からの莫大な熱放出がその直上で強い降水や上昇気流などの大気応答を引き起こすことが明らかになったのである。出版後数カ月でドイツのグループが追従を始めるなど、この成果は国際的に大きな影響を与えている。
さらに、こうした暖流からの熱・水蒸気供給は社会生活にも影響する。このプロジェクトのメンバーである広瀬、山本、立花らは、対馬暖流からの蒸発量の変化が日本海側の降雪の年々変動に影響することや、数十km規模の海洋渦に伴う海面蒸発量の複雑な分布が降雪の地域性をもたらすことを見出した(Hirose・Fukudome 2006; Takano et al. 2008; Yamamoto・Hirose 2007)。また、見延らが東シナ海に見出した黒潮に捕捉された降水帯(Small et al. 2008)が沖縄の降水量に及ぼす影響も示唆されている。

大洋西部で暖流が寒流と合流する海洋前線帯では、水温南北差が顕著である。中村らは、暖流・寒流の水温差が低気圧の頻繁な発達を促し、それら大気渦が集団で維持する中緯度西風ジェット気流の“ゆらぎ”こそが、我が国も含め中高緯度域の気候に影響する「北極振動」という大気の固有振動の実体で、それが中緯度海水温の南北差なしには存在し得ないことを示し、大気大循環の新概念を提示した(Nakamura et al. 2004, 2008)。一方、南方の黒潮近傍で発生した台風や日本近海の爆弾低気圧の影響で、黒潮流域上空に大規模な波動が生じ、遥か北米まで影響が及ぶ可能性を川村が見出した(Yamada・Kawamura 2007;Yoshiike・Kawamura 2009)。

こうして大気へ影響を及ぼす海流の変動要因を明らかにし、その予測へ向けた研究も重要である。中村、谷本は、日本東方での黒潮・親潮の南北移動が水温に顕著な長期変動を生じ(Nakamura et al. 1997, 2003)、この水温変動が大気への熱放出を変えることを見出した(Tanimoto et al. 2003)。こうした黒潮・親潮変動の現実的な数値的表現は、野中、中村、佐々木らによる地球シミュレータの高解像度海洋モデル実験で初めて可能となった(Nonaka et al. 2006, 2008)。田口、野中らはこの実験から、黒潮続流の強度や緯度が数十km規模の海洋渦との相互作用によって変動し、そこに数年程の予測可能性が見出せることを示した(Taguchi et al. 2007)。

Nature(2008/3)の表紙

図1. 見延、吉田、小守の論文が掲載されたNature(2008/3)の表紙。手前側のフロリダ半島から右奥に向かうメキシコ湾流が白帯で示され、そこから大気に放出される熱や上昇気流が赤で描かれている。

まとめ

このように我々は、中緯度で海洋から大気への熱力学的影響が集中する“気候系のhot spot”は黒潮等強い暖流域であり、そこで顕著に現れる長期水温変動が大気循環にも影響し得ることを世界に先駆けて訴えてきた。海洋から大気への気候学的影響として従来着目されてきたのは、太平洋のエルニーニョやインド洋ダイポール現象等の熱帯の現象だが、我々の先駆的研究は気候系における中緯度大気海洋相互作用の重要性を初めて浮彫りにした。未解明の点はまだ多いものの、気候研究のパラダイムは今まさに変わろうとしているのでる。
そこで、我々が萌芽させた「気候系の形成と変動における中緯度海洋の能動的役割」という新パラダイムを、それが全球で最も顕著に現れる東アジア・北西太平洋域を主な研究対象域として高度に発展・深化させ、未解明の課題を解明することで、気候学における新概念を確立するのが本領域の使命である。そして、従来顧みられなかった中緯度海洋から大気への熱力学的強制に着目した研究を進展させ、地球温暖化の影響を受けつつある中高緯度の大気海洋・表層環境の変動や異常気象の予報精度向上への貢献を目指す。

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